2008年11月10日月曜日

略奪的資本主義

中国の野放図な格差社会のことを書こうとしていたが、たまたま伊東光晴「日本経済の変容」(岩波書店)をぱらぱらとめくっていて、ロシアを賤民資本主義と指摘しているのを読んで、これを拡大して論じられることに気づいた。
 かつて社会主義圏とされてきた国々の体制が崩壊し、急激に資本主義に移行したときに起きたのは、それこそ人権もへったくれもない、市場経済とさえも言えないような暴力的な資本主義だった。そのような社会が胎動しはじめたとき、近隣の資本主義国(たとえば中国に対する日本)がそのままでいられるはずはないのではないか。同様に烈しい波を受けざるを得ない。米国からの圧力のみではない。日本のこの非人間的な状況は実は中国や他の崩壊した社会主義圏と地続きだともいえるのではないか。
(おそらく、「民主化」の名の下に侵略され、国土を荒廃させられたイラクも、焦土に手っ取り早く略奪的な資本主義システムを成り立たせようという点で同じ潮流にあると思われる。)
 そして、その非人間的な資本主義のひな形として存在するのが米国資本主義である。け落とされたら落とされた方が悪いとされる資本主義は、あらためて考えてみると、米中露に共通する価値観なのである。もちろん他の資本主義諸国も同様な性質を有するだろうが、ここで強調したいのはその性質の相対的な強さの問題である。
 日本はそうした動きに追随するしか道がない。と書くと一方的に被害者のように読めるので、注釈を加えるなら、その程度の主体性しかもてないという国なのだ日本は。
 ひるがえっていえば、まだヒューマニスティックな性格を多く有するEU的体制は市場原理主義が吹き荒れる世界では大海の中の小島のような存在なのだろう。

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