2008年7月21日月曜日

「オウムの黒い霧」と「オウム真理教事件完全解読」より 5

 私にとって本書が興味深いのは、調査・取材のアプローチがまったく違うはずの「オウムの黒い霧」と「対」になっているように思われる点だ。
 考古学者である竹岡は、いわゆる「学説」を用いて資料を解釈するのではなく、「資料そのものから文化を復元し、その根底にあるものを知る」という自身の石器研究と同じアプローチを採用した。それは信者を成就させる(本書ではロボット化とも書いているが)方法からオウムの思想や教義がどう変質していったか、残された資料を渉猟することによって透視しようという試みと言えよう。一方の下里はジャーナリストとして、オウムが引き起こした数々の事件から、その組織がどのように暴力的、攻撃的になっていったかを組織の動きとして—すなわち外側から描いている。つまり両者は「内」からの視点と「外」からの視点とが表裏一体となっているように見えるのだ。
 竹岡は当初、純粋に修行であったものがいつか、「LSDと覚醒剤を併用した『ルドラチャクリンのイニシエーション』を作り上げるようになった事に注目する。

「薬物飲用で、音や光や言葉に誘導されやすい状態におかれ、・・・記憶を揺さぶり、定着させ、ヴィジョンを誘導し、「体験」として「決意」内容を固定してしまうのです。覚醒剤のもたらす『心地よさ』がさらにその体験を肯定的なものに感じさせて、受容させるようです。
 こうして「ルドラチャクリンのイニシエーション」によってオウム真理教は絶対他力で麻原彰晃の想念そのものになる方法を完成させ、麻原は信者の時代観・社会観・人間観・つまり人間としての個人総体を支配することに成功したのである。・・・この、修行から機械あるいは薬物へという変化に従って、『成就』ための手段は科学的=即物的になり、オウム真理教はヨーガ道場からロボット工場へと変わっていくのである。」
 (71〜72ページ)
「彼ら信者達はこうして修行によって救済される。しかし現実世界の人々は享楽を与えつづける悪魔の支配下で悪いカルマを積み重ねている。このままでは死後、人々は地獄で永劫にわたって苦しまなければならない。そこで、悪いカルマをこれ以上重ねる前に、あるいはハルマゲドンで地獄に堕ちる前に、人々をより高い世界へと転生させること(ポア)が必要になる。それがヴァジラヤーナの救済なのである。」(93ページ)
「そうして修行が次第に薬物や機械を用いたイニシエーションに置き換えられていくにつれて、体系全体はもはや宗教とも言い難い、『救済』のための脳の変造と兵器の製造を行う。、オカルト的な偽科学の体系ともいうべき様相をもつことになったのである。(94ページ)。

 おそらく、薬物や機械によって脳の変造、兵器の製造を行うオカルト宗教に変貌したそのときこそが、先の下里が形容した「メタモルフォーゼ」の時だったのではないか。すなわち「毛虫が繭に入ってさなぎとなり、成長の過程で繭を食い破り、「軍事組織」という『蛾』となって飛び立った瞬間だったのではないかと思われる。

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