2008年7月14日月曜日

「オウムの黒い霧」と「オウム真理教事件完全解読」より 4

 実際のところ、ネットでみた、おそらく麻原彰晃の死刑判決が出たときのものと思われる有識者のコメントでは、岩上安身が「本当は国家転覆させる陰謀だっ た」と話していたし、ネット検索すると、オウム真理教の未解決部分にスポットを当てたサイト(陰謀論めいたものがあるが)もいくつかある。疑問を抱 く人間は依然として一定数、存在しているようだ。
 下里正樹の主張のうち、私が疑問に思うのはオウム真理教のことを「極右」だとしていることだ。彼は本書を完成させるまで赤旗記者として731毒ガス部隊などの取材経験を存分に生かしてきた(森村誠一「悪魔の飽食」シリーズに結実)が、オウムを極右だと判断したところには、彼独特の偏見がにじみ出ているように思える。「ヒトラーを信奉していた」という証言や『わが闘争』が書架にあったという程度で軽々しく右翼と断じてしまっていいのだろうか。
 たしかに本書の記述どおり覚醒剤取引でヤクザ組織とやりとりがあれば、ヤクザの一部が持つ右翼思想の浸透がある程度あったかもしれない。また故・山川暁夫が指摘していたことだが、「オウム神仙の会」が暴力的、犯罪的になっていくきっかけとして統一協会のメンバーがオウムに大挙して入会したため、という解釈もあった。この反共・右翼的な組織の構成員が入ったことを指して「右翼的」というならまったく分からないわけではない。だがこうしことと、組織全体が右翼思想を行動原理として活動することとは大きな隔たりがあるように思える。多くのページにわたり重大な指摘がおこなわれた本書の弱点といえよう。しかし、その部分を措けば、本書があの事件が残した数々の不可解な事実の謎解きとなっていることは誰もが認めざるを得ないのではないか。
 私が本当の意味で著者を優れたジャーナリストだと感じるのは時代認識の確かさのためだ。若者がオウムを信奉する背景に、日本社会と世界への絶望とニヒリズムがあったとしている。

「ワイロの金にまみれ、特定の宗教と結びつき、特権的な官僚制度と一体になった政治の腐敗は、若者たちに「汚れ切った現世」の認識を与えた。社会主義体制の崩壊によって革新政党が停滞していた。東大出の指導者がハバを利かす政党政治に魅力はなかった。政治を変革する展望のなさが若者たちの政治離れに拍車をかけた。出口のない時代に生きているという実感、閉塞感の増大である。・・・おのれを組織に埋没させ、商業主義文化を受け入れる。それ以外に、人生はないのか?・・・若者たちは子供の頃から管理される現実にあきあきしていた。現実からの脱出と自由を望んだ。そのための神秘的な強い力を望んだ。彼らは、自分を自由にし、自分を強く求めてくれ、評価し指導してくれる、父権の確立された共同体を望んだ。」(39〜40ページ)

 これとほぼ同じ認識が、実は これから紹介するもう1冊のオウム本「『オウム真理教事件』完全解読」(竹岡俊樹著、勉誠出版)でも語られている。

「この日本では『社会』に承認され推奨されている生き方とはよりよき消費者であり、『社会』参加とは経済活動、つまりは金儲けに従事することにほかならない。前述の偽エリートがいかに馬鹿馬鹿しく滑稽であろうとも、それが日本人の創ってきた理想的な存在の形なのである。
 自分自身に価値観を見い出すことのできない不安な私たちは、金や物に限らず、学歴や社会的地位などの他人との差異を表示する記号的な価値を求めて優越感と劣等感を車の両輪として競争してきた。この日本的自己実現のパラダイムを受け入れなければ他にいかなる道も残されてはいなかった。そこには人々の中で、人々とともに自分の存在の意義や価値をみいだすことのできる本当の社会はどこにもなく、利他的に人道的に生きることや社会に貢献して生きることはいかなる価値ももたなかった。それが今日までの日本社会であったことは認めなければならない」(237〜238ページ)

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