2008年7月13日日曜日

「オウムの黒い霧」と「オウム真理教事件完全解読」より 3

 そして下里は終章でこう警告する。
「アニメだ、ごっこだという人々は、戦争というものの構造をよく知らないからだろう。
 六〇年前の日本国民が大真面目であったと同様、オウム信者もまた大真面目であると私は見る。だから恐ろしいのである。
 彼らの行動は、大真面目で徹底した「戦争の論理」で貫かれているのだ。
 平和な社会では無差別テロは重大犯罪であるが、戦争なら市民への無差別爆撃は当然である。サリンをばら撒いたオウム幹部らに、罪の意識は実に薄い。
 あちらが戦争の論理で来ているのに、戦争を仕掛けられている側が平和ボケし、市民社会の論理で対抗しようとしている。・・・
 ・・・いま、求められるのはオウムへの批判である。極右的軍事路線への徹底した批判である。
 苛烈な批判は、信者の主体的成長と開眼を助け、真の社会復帰の道を開く。」(275、276ページ)
 
 実際、本書は発行当時どのような評価を受けたのだろう。著者はすでに長野県に引っ込み、半ば引退してしまっているようだが・・・。(引退させられたのか?)明白なのは、こんな13年前の出来事になど多くの人が関心など持っていないだろうということ・・・。
 だが人々の意識から風化していったことには間違いなく理由があると思う。冒頭にあげたように、「狂信的な新興宗教が暴走して何人かの人を殺した事件」と頭にすり込まれてしまえば、あまたある有象無象の出来事の中で埋没してしまいもするということだ。
 だが、下里正樹「オウムの黒い霧」に書いているとおり、「単なる新興宗教から変身をとげ、麻薬によって資金を調達し、自衛隊員を信者にして毒ガスや生物兵器の製造、使用、解毒の方法を学ぶとともに信者を兵士にしたて、ロシアから戦車、ヘリなどの武器を購入し、戦争をしかけて国家転覆を図った内乱事件」というのが事実だとしたらどうか。そのようなことが1995年にあったとしたら。やはり時代認識を大きく変えざるを得ないのではないか。
 もちろんこの事件を「実態」以上にふくらませることは、一方で警察・自衛隊といった治安機関に勢力拡大の口実を与えることになるから慎重でなければならないとは思う。(実際、オウムは破防法を変形させたような「団体規制法」とかいうものを適用され今に至るわけだが)がそれでも、何が真実か検証することは必要だ。
 
 
 

 

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