2008年7月7日月曜日

「オウムの黒い霧」と「オウム真理教事件完全解読」より 2

 下里正樹は同書(「オウムの黒い霧」)で次のように書く。

 「1990年、オウム真理教に深刻な変化が現れた。二月の衆議院議員選挙に、オウムは真理党を結成、麻原彰晃を先頭に二十五人が立候補したが、全員落選した。以来、オウムは政治結社「真理党」の顔を持った。10月、熊本県波野村のオウム施設が熊本県警の捜索を受け、幹部の石井久子、早川紀代秀、青山吉信らが逮捕された。衆院選での敗北と、波野村での「弾圧」は、麻原彰晃の内面に決意を促した。—国家権力と正面から戦い、オウムの帝国を建設するのだ。そのためには、協力な武器と「聖なる軍隊」が必要だ・・・。
 メタモルフォーゼ(変容)という言葉がある。毛虫が繭に入ってさなぎとなり、成長の過程で繭を食い破り、蛾となって飛び立つ。
 毛虫からさなぎへ。さらに蛾への変身は、事物が元の姿とは似ても似つかぬ物へ、飛躍的に質の変化を遂げる例として、引き合いに出される。
 あらゆる人物と組織が、このようなメタモルフォーゼの要素を持っている。
 かつて「警察予備隊」と呼ばれた組織が、やがて「保安隊」となり、自衛隊に変質する要素を持っていたように、宗教団体オウムも、軍事集団化していく要素を「神仙の会」のころからもっていたのである。
 オウムが武装化する直接のきっかけは、序章にも記したように麻薬密造である。オウム・ブランドの麻薬は、当初は教団信者の統制用に、そのあと商取引先の依頼を受けて広域暴力団との暗黒ビジネス用に量産された。それを内偵・摘発しようとする警察権力とオウム幹部の間に、するどい緊張関係が生まれた。また広域暴力団との間にも、緊張関係が発生した。暗黒ビジネスの権益と秘密を守るため、オウムは右翼暴力団に対し、また警察の内偵に対し、自衛手段を講じた。それが、元自衛官、元警察官らによる麻原彰晃周辺の警備体制のそもそもであったと、私はみている。これがのちに「諜報省」「自治省」「防衛庁」とよばれる組織に発展したのである。
 1990年。オウム真理教は、たんなる宗教団体から強力な武器をもった軍事集団に、犯罪シンジケートとつながる秘密結社に変質を始めたのだ。」(85、86ページ)
「ロシア軍関係者とのコネクション作り。日本自衛隊員の獲得—。
 この二つのルートを得て、オウム教団の軍事化は急速に進んだ。・・・
 ・・・空挺部隊・レンジャー部隊は陸上自衛隊の持つ最強部隊である。ここには全国各師団から選抜された最強の兵士しか入隊できない。こうした花形隊員らが、オウムを軍事的に鍛えていたところに、オウム集団の隠された本質がある。」(89、90ページ)
「—1キログラム700万円。
 これがオウムと台湾マフィアの間で成立した「オウム製シャブ」の値段であった。
 オウムはこの時、五億円の現金を手にしたという。
 オウムが武器の入手を図ったのは、自らの王国建設のため国家転覆をなしとげる目的であった。ではなぜ彼らは、シャブの製造と密輸に手を出したのか。
 その理由は、資金調達、広域暴力団との親交、麻原オウム集団内部の麻薬常習者の必要からである。
 国家転覆のためには独自の軍隊建設と武器入手が必要であった。それには多額の資金がいる。麻原オウムはその資金を、当初は信者の「お布施」でまかなおうとした。
 だが、信者から強引にまきあげた土地建物などの不動産は、バブル崩壊後の日本では即刻換金が難しかった。そこでオウムは麻薬製造に手を出した。この裏には日本・台湾・韓国・フィリピン・タイなど海を超えたマフィアの組織との接触があった。」(149ページ)
 「自衛隊のサリンや細菌兵器の技術テキストが、オウム集団に流出していたことは、もはや公然の事実である。単に内部文献だけが流出していたのだろうか。
 私は「人」が必ず介在していたと見ている。どのような技術も、文献によってではなく、「人」を通して伝えられるものである。オウム化学班が、毒ガスのさまざまな技術を身につけるにあたって、特定の幹部自衛官から学んだ可能性は高い。」(271ページ)
「はたして深淵な教義変化が、武装化の直接動機になったのか。いや違う。オウムの路線変化には、もっと現実的な基礎があるはずである。
 巨額の資金、国際マフィアとのコネ、外国軍装備品の獲得、自衛官メンバーの加入といった「物質的基礎」が初めに生じ、それに応じて教義の変化が生まれた。けっしてその逆ではない。教義の変化は、現実の進行に押されるようにして進んだのではないか。
 意識(教義)が存在を規定したのではなく、存在が意識を規定したのである。」(273ページ)

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