2008年6月30日月曜日

「不可能性の時代」(大澤真幸著)より

 大澤は無神論に関して興味深い指摘をしている。
 
 大澤は、スラヴォイ・シジェクがマルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」におけるある分析に言及していることについて紹介する。
 当時の「秩序党」はブルボン派とオルレアン派の連携によって形成されていたが、彼らは互いの共通性である「王党派であること」によって連合しているわけではない。それでは、自分たちが戴く王が違う(ブルボンとオルレアン)のだから連帯のしようがない。ではどうやって連合するか—すなわち「王党派一般」になるためには「王党派そのものの否定である共和派になる」ほかない。これと同じことは宗教についても言えるのはないか、と。
 つまり異なる宗教同士が連帯するには、それぞれの宗教の伝統に共通性を求めても得るものはない。それは、二つの王党派の共通成分によって王党派が連帯できなかったのと同じだ。とすれば、
「諸宗派の連帯と融合のための唯一の解決法は、宗教一般の否定、すなわち無神論に依拠することである」(253ページ)
とする。
 これに関連してさらに、マックス・ウェーバーの、キリスト教の徹底化が近代への起爆剤になったとの思想から、
「無神論は、神への信仰の単純な否定ではなく、むしろ、信仰の内側から、それを食い破るようにして出てくるということ、これである」(255ページ)
と記している。

 未来を何とか希望あるものとしてつないでいくという意味では、こういう連帯の方法こそが、対立から殺し合いに簡単に進展してしまう現状を脱するための適切な解決方法であるように私も思う。

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