2008年1月29日火曜日

イスラム原理主義とは何か─あるいは学問的敗北

 マフムード・マムダーニ「アメリカン・ジハード」(書評はのちほど)を読んで以来、「イスラム原理主義とは何か」ということがずっと心にひっかかっている。
 20年ほど前、トルコ・シリア・イラン・パキスタン・インドのムスリム居住地区・フィリピンのミンダナオ島などでイスラム教徒と接する機会があったが、この言葉が喚起する「異常さ」「狂信性」「残忍さ」といったイメージとあの時の体験とがどうしてもしっくりとは重ならないからだ。彼らと一緒にいて身の危険を感じたことは一度もなかった。私が触れたのが庶民だったから?だが、いま報道されているムスリムのイメージは、そうしたふつうの庶民でさえ、「危険」「過激派」というイメージに塗り込められているではないか。当時、私が受けた印象と現下のムスリムのイメージとはかけ離れすぎている。
 20年という歳月が大きな変化をもたらし、印象を一変させたということか。この20年のうちに、穏和、穏健としか思えなかった人々までもが「原理主義」を信奉するようになったということなのだろうか。
 おそらくそうではないだろう。イラクのように治安が悪化した地域であれば、たしかに誘拐されたり殺されたりすることがあるかもしれないが、それでも、そこでは人々が当たり前に暮らし、恋愛し、子どもが育つという生活が間違いなく存在している。そうした空間では私たちと同じような生活感が抱かれ、適切な倫理や道徳律が存在しているはずだ。では、原理主義がそうした真っ当な生活感や倫理観と対立して同居している、あるいはそれらを圧しながら共存しているということなのか。
 だが同じ空間に共存するにしては、両者の断絶はあまり大きい。「生活の貧困さを恨んで銃撃した」とか「疎外されて自爆テロを選んだ」とかもっともらしい理屈をくっつけるのはこの場合むなしい作業だろう。どうしたってそのまま一足飛びに、使命のために人殺しも辞さない「原理主義」には結びつかないからだ。逆に言えば、(前者と後者は)そうそう短絡的に結びつけてはならない事柄であるはずであるにもかかわらず、「原理主義ゆえ」「彼は原理主義者だから」という言葉は有無を言わせず結びつけてしまうということだ。
 まずは「イスラム原理主義」という用語によって喚起されるイメージの方に間違いがないか、検証するべきだろう。最初に少なからぬ人々がすでに指摘している事柄をもう一度記しておこう。最近読んだイスラム教関連の書物の中でもっとも誠実さを感じた書物から引用する。

「・・・(イスラム原理主義という用語は)学術的な「分析概念」としては、不適当であると考えている。それはむしろ、イスラームに対するある種の偏見すら助長するものであり、E・サイードが批判する意味でのオリエンタリズム的言説であると思っている。」(大塚和夫著「イスラーム主義とは何か」〈岩波書店〉6ページ)

「・・・むしろアメリカの用語法では、ファンダメンタリズムという言葉は自称ではなく、対立者(モダニスト神学者や世俗主義者)からつけられた他称であり、時として反近代的で時代錯誤的な神学を含意するという意味で蔑称であるという事実が重要である。」(同8ページ)
 
 大塚氏はこのように記すとともに、イスラムという一神教批判の背後には多神教的な自国を良しとするわれわれ日本人の自民族中心主義(エスノセントリズム)がありはしないかと指摘している。
 さらに、「イスラム原理主義」という名称の代わりに「イスラーム主義」および「イスラーム復興」という二つの用語を使うことを提唱している。すなわち、前者を「社会のイスラーム的変革を求める政治イデオロギーや運動」と定義し、後者を、女性がスカーフを自主的に着用するなどみずからのアイデンティティの根拠としてイスラームを再び重視する文化的・社会的現象─「イスラーム復興」と名付けた。
 同書が良書たるゆえんは、留学や学術調査を通じての豊富なフィールドワーク体験をもとに、ムスリムの立場に立って「イスラーム主義」や「イスラーム復興」がどのような経過をたどって起きてきたのかということを、憎しみや恐れや蔑みの感情を煽ることなく伝えてくれているからだ。

 同書と併せて、宮田律「イスラム超過激派」(講談社)、藤原和彦「イスラム過激原理主義」(中央公論社)、小川忠「テロと救済の原理主義」(新潮社)を読んだが、これらから学ぶべき内容がないとは思わないとはいえ、いずれも「過激派」「原理主義」という言葉を何も疑問なく使っていることや、そのような用語法が示している通り、結局のところ、こちら(日本、欧米諸国)の側にいて相手の立場に一切立つことなく、恐怖や憎悪を煽っているという点では選ぶところがないように見えた。
 学者や専門家が何ら注釈なしに(あるいは注釈をしていたとしても)「イスラム原理主義」という言葉を使い続けるのは学問的敗北ではないだろうか。特に宮田律氏は著書「現代イスラムの潮流」(集英社)ではイスラムに対しても公平を期す姿勢を見せていたのに、「イスラム超過激派」では「原理主義」を通り越し「超過激派」まで飛び出していってしまった。一体どういうつもりだろう。二つの書物の発刊の間隔はそれほどでもないのに、なぜ短時間で変貌してしまうのか。「過激」な方が売れるからか。

2008年1月22日火曜日

映画「PEACE BED アメリカVS ジョン・レノン」

 私はわりと洋楽は聴くほうだと思うが、ビートルズやそのメンバーの曲はこれまであまり身を入れて聴いてこなかった。ジョンレノンについても、「インドかぶれした、わりとリベラルな人」くらいにしか思っていなかった。身近にいた全共闘世代の元活動家が「(ジョンレノンは)うさんくさい」と言っていたのもなるほどと納得していたし、「真心ブラザーズ」の曲「拝啓ジョンレノン」の歌詞にジョンレノンを「夢想家」「バカな平和主義者」とくさす歌詞が出てくるのを半ば真に受けていた。
 しかしこの映画に描かれた通りならば─ドキュメンタリーの要諦がどこに光を当てるか、であることを考えると、もともと「描かれた通り」などという表現はナンセンスではあるけれど─その印象は全面的に変えなければならない。少なくとも私の場合、彼の曲に対する評価は大きく変わった。
 多くの人が知っている「Power To The People」や「Give Peace A Chance」も、全訳が紹介され、そこにその時代のジョンレノンの反戦活動の映像がかぶさると、いかにそれらが戦闘的な─といっては誤解を生むとすれば、「時代の先端を行く」─歌であったかが分かってくる。「Happy Xmas」も、あの子どものバックコーラスが延々と「War is over,if you want it」と歌っていたなんて知らなかった!こういう歌があるからこそ、「Imagine」の「夢想家だと言われるかもしれない。だがおれは一人じゃない」という歌詞がより説得力を持つというものだ。
 そう、これはその時代のいろいろなことが分かる映画だ。たとえば、ある一定以上の年齢の人々には自明のことなのかもしれないが、なぜジョンレノンはじめあの頃の活動家は髪を伸ばしていたのか。正直にいうと、ヒッピー文化というものはそういうもので、それに影響を受けたからだと私は思っていた。
 が、ジョンが「髪を伸ばそう」と語りかけているのを聞いて、徴兵制反対の意思表示であることに気づいた。つまり、おそらく話は逆で、そこからヒッピー文化的なものが生じていったのだろう。徴兵制のない日本では、かなり矮小化されざるを得ず、髪を伸ばすことは企業に就職しない程度のことを意思表示するにすぎなかったわけだが(ユーミンの「いちご白書をもう一度」の歌詞にもありますね。「就職が決まって髪を切ってきたとき〜」って)。
 オノ・ヨーコの印象も変わる。彼女がいたから、ジョンレノンはここまでやれたのではないかと思えてくる。彼女については良くない風評が少なくないようだが、保守的な人たちからみたら、そりゃイヤだろうこんな人は。だが、だからこそそのような風評を流され続けたという面もあるのではないか。
 こんなことを書いていると、なんでもかんでも疑りたくなってくる。なぜこの映画は何も評判になっていないのか。あまりにも告知が少なすぎるのではないか。映画の上映時間だって「いったい何?」っていう時間だった。何せ、私が住む川崎の「TOHO シネマズ」は毎朝10時1回きりの上映だった。なぜ夜10時からのレイトショーにしない?見るな、っていう意味か?