2008年11月10日月曜日

略奪的資本主義

中国の野放図な格差社会のことを書こうとしていたが、たまたま伊東光晴「日本経済の変容」(岩波書店)をぱらぱらとめくっていて、ロシアを賤民資本主義と指摘しているのを読んで、これを拡大して論じられることに気づいた。
 かつて社会主義圏とされてきた国々の体制が崩壊し、急激に資本主義に移行したときに起きたのは、それこそ人権もへったくれもない、市場経済とさえも言えないような暴力的な資本主義だった。そのような社会が胎動しはじめたとき、近隣の資本主義国(たとえば中国に対する日本)がそのままでいられるはずはないのではないか。同様に烈しい波を受けざるを得ない。米国からの圧力のみではない。日本のこの非人間的な状況は実は中国や他の崩壊した社会主義圏と地続きだともいえるのではないか。
(おそらく、「民主化」の名の下に侵略され、国土を荒廃させられたイラクも、焦土に手っ取り早く略奪的な資本主義システムを成り立たせようという点で同じ潮流にあると思われる。)
 そして、その非人間的な資本主義のひな形として存在するのが米国資本主義である。け落とされたら落とされた方が悪いとされる資本主義は、あらためて考えてみると、米中露に共通する価値観なのである。もちろん他の資本主義諸国も同様な性質を有するだろうが、ここで強調したいのはその性質の相対的な強さの問題である。
 日本はそうした動きに追随するしか道がない。と書くと一方的に被害者のように読めるので、注釈を加えるなら、その程度の主体性しかもてないという国なのだ日本は。
 ひるがえっていえば、まだヒューマニスティックな性格を多く有するEU的体制は市場原理主義が吹き荒れる世界では大海の中の小島のような存在なのだろう。

2008年7月27日日曜日

「オウムの黒い霧」と「オウム真理教事件完全解読」より 6

 それにしても信者達はなぜ殺人に対して躊躇がなかったのか。下里が「彼らの行動は、大真面目で徹底した 『戦争の論理』で貫かれているのだ。平和な社会では無差別テロは重大犯罪であるが、戦争なら市民への無差別爆撃は当然である」と記したのに照応するかのように、竹岡はこう結論づける。

「麻原がオウム真理教に国家的な様相を与えたのは殺人を戦争として行うためであった。オウム真理教が国家であり、それが悪魔の傀儡である別の国家によって弾圧され攻撃されているとなれば殺人は正当防衛のための戦争であるという大義名分を持つことになる。いかなる矛盾もない。それゆえに心の葛藤もなく殺人を行うことができるというわけである。」(234ページ)。

 一方、下里はオウムの変貌の理由を「巨額の資金、国際マフィアとのコネ、外国軍装備品の獲得、自衛官メンバーの加入といった「物質的基礎」が初めに生じ、それに応じて教義の変化が生まれた。けっしてその逆ではない。教義の変化は、現実の進行に押されるようにして進んだのではないか。意識(教義)が存在を規定したのではなく、存在が意識を規定したのである」としている。この二つの説明は破綻なく共存しうる。つまり、どちらがより事実に近いか、ということではなく、立脚点は違え、どちらも本質を衝いた説明になっていると思う。

 竹岡は、麻原が人間の脳を薬物や機械で操作することによって、人間の尊厳も社会のルールも消し去ることができることを証明した、「この非人間的な地平が私たちの新たな現実となった」とし、「ものをもてば幸せになる」時代を超えて、新たなモラル(「新しい文化システム」)を作り出すことを呼びかけている。 私も同感だ。だが、この書物が出版されてから、9年経って変化しことといえば、「ものをもてば幸せになる」時代からさらに酷くなり、「マネーさえあれば」の世界のただ中にある。
 
 

2008年7月21日月曜日

「オウムの黒い霧」と「オウム真理教事件完全解読」より 5

 私にとって本書が興味深いのは、調査・取材のアプローチがまったく違うはずの「オウムの黒い霧」と「対」になっているように思われる点だ。
 考古学者である竹岡は、いわゆる「学説」を用いて資料を解釈するのではなく、「資料そのものから文化を復元し、その根底にあるものを知る」という自身の石器研究と同じアプローチを採用した。それは信者を成就させる(本書ではロボット化とも書いているが)方法からオウムの思想や教義がどう変質していったか、残された資料を渉猟することによって透視しようという試みと言えよう。一方の下里はジャーナリストとして、オウムが引き起こした数々の事件から、その組織がどのように暴力的、攻撃的になっていったかを組織の動きとして—すなわち外側から描いている。つまり両者は「内」からの視点と「外」からの視点とが表裏一体となっているように見えるのだ。
 竹岡は当初、純粋に修行であったものがいつか、「LSDと覚醒剤を併用した『ルドラチャクリンのイニシエーション』を作り上げるようになった事に注目する。

「薬物飲用で、音や光や言葉に誘導されやすい状態におかれ、・・・記憶を揺さぶり、定着させ、ヴィジョンを誘導し、「体験」として「決意」内容を固定してしまうのです。覚醒剤のもたらす『心地よさ』がさらにその体験を肯定的なものに感じさせて、受容させるようです。
 こうして「ルドラチャクリンのイニシエーション」によってオウム真理教は絶対他力で麻原彰晃の想念そのものになる方法を完成させ、麻原は信者の時代観・社会観・人間観・つまり人間としての個人総体を支配することに成功したのである。・・・この、修行から機械あるいは薬物へという変化に従って、『成就』ための手段は科学的=即物的になり、オウム真理教はヨーガ道場からロボット工場へと変わっていくのである。」
 (71〜72ページ)
「彼ら信者達はこうして修行によって救済される。しかし現実世界の人々は享楽を与えつづける悪魔の支配下で悪いカルマを積み重ねている。このままでは死後、人々は地獄で永劫にわたって苦しまなければならない。そこで、悪いカルマをこれ以上重ねる前に、あるいはハルマゲドンで地獄に堕ちる前に、人々をより高い世界へと転生させること(ポア)が必要になる。それがヴァジラヤーナの救済なのである。」(93ページ)
「そうして修行が次第に薬物や機械を用いたイニシエーションに置き換えられていくにつれて、体系全体はもはや宗教とも言い難い、『救済』のための脳の変造と兵器の製造を行う。、オカルト的な偽科学の体系ともいうべき様相をもつことになったのである。(94ページ)。

 おそらく、薬物や機械によって脳の変造、兵器の製造を行うオカルト宗教に変貌したそのときこそが、先の下里が形容した「メタモルフォーゼ」の時だったのではないか。すなわち「毛虫が繭に入ってさなぎとなり、成長の過程で繭を食い破り、「軍事組織」という『蛾』となって飛び立った瞬間だったのではないかと思われる。

2008年7月14日月曜日

「オウムの黒い霧」と「オウム真理教事件完全解読」より 4

 実際のところ、ネットでみた、おそらく麻原彰晃の死刑判決が出たときのものと思われる有識者のコメントでは、岩上安身が「本当は国家転覆させる陰謀だっ た」と話していたし、ネット検索すると、オウム真理教の未解決部分にスポットを当てたサイト(陰謀論めいたものがあるが)もいくつかある。疑問を抱 く人間は依然として一定数、存在しているようだ。
 下里正樹の主張のうち、私が疑問に思うのはオウム真理教のことを「極右」だとしていることだ。彼は本書を完成させるまで赤旗記者として731毒ガス部隊などの取材経験を存分に生かしてきた(森村誠一「悪魔の飽食」シリーズに結実)が、オウムを極右だと判断したところには、彼独特の偏見がにじみ出ているように思える。「ヒトラーを信奉していた」という証言や『わが闘争』が書架にあったという程度で軽々しく右翼と断じてしまっていいのだろうか。
 たしかに本書の記述どおり覚醒剤取引でヤクザ組織とやりとりがあれば、ヤクザの一部が持つ右翼思想の浸透がある程度あったかもしれない。また故・山川暁夫が指摘していたことだが、「オウム神仙の会」が暴力的、犯罪的になっていくきっかけとして統一協会のメンバーがオウムに大挙して入会したため、という解釈もあった。この反共・右翼的な組織の構成員が入ったことを指して「右翼的」というならまったく分からないわけではない。だがこうしことと、組織全体が右翼思想を行動原理として活動することとは大きな隔たりがあるように思える。多くのページにわたり重大な指摘がおこなわれた本書の弱点といえよう。しかし、その部分を措けば、本書があの事件が残した数々の不可解な事実の謎解きとなっていることは誰もが認めざるを得ないのではないか。
 私が本当の意味で著者を優れたジャーナリストだと感じるのは時代認識の確かさのためだ。若者がオウムを信奉する背景に、日本社会と世界への絶望とニヒリズムがあったとしている。

「ワイロの金にまみれ、特定の宗教と結びつき、特権的な官僚制度と一体になった政治の腐敗は、若者たちに「汚れ切った現世」の認識を与えた。社会主義体制の崩壊によって革新政党が停滞していた。東大出の指導者がハバを利かす政党政治に魅力はなかった。政治を変革する展望のなさが若者たちの政治離れに拍車をかけた。出口のない時代に生きているという実感、閉塞感の増大である。・・・おのれを組織に埋没させ、商業主義文化を受け入れる。それ以外に、人生はないのか?・・・若者たちは子供の頃から管理される現実にあきあきしていた。現実からの脱出と自由を望んだ。そのための神秘的な強い力を望んだ。彼らは、自分を自由にし、自分を強く求めてくれ、評価し指導してくれる、父権の確立された共同体を望んだ。」(39〜40ページ)

 これとほぼ同じ認識が、実は これから紹介するもう1冊のオウム本「『オウム真理教事件』完全解読」(竹岡俊樹著、勉誠出版)でも語られている。

「この日本では『社会』に承認され推奨されている生き方とはよりよき消費者であり、『社会』参加とは経済活動、つまりは金儲けに従事することにほかならない。前述の偽エリートがいかに馬鹿馬鹿しく滑稽であろうとも、それが日本人の創ってきた理想的な存在の形なのである。
 自分自身に価値観を見い出すことのできない不安な私たちは、金や物に限らず、学歴や社会的地位などの他人との差異を表示する記号的な価値を求めて優越感と劣等感を車の両輪として競争してきた。この日本的自己実現のパラダイムを受け入れなければ他にいかなる道も残されてはいなかった。そこには人々の中で、人々とともに自分の存在の意義や価値をみいだすことのできる本当の社会はどこにもなく、利他的に人道的に生きることや社会に貢献して生きることはいかなる価値ももたなかった。それが今日までの日本社会であったことは認めなければならない」(237〜238ページ)

2008年7月13日日曜日

「オウムの黒い霧」と「オウム真理教事件完全解読」より 3

 そして下里は終章でこう警告する。
「アニメだ、ごっこだという人々は、戦争というものの構造をよく知らないからだろう。
 六〇年前の日本国民が大真面目であったと同様、オウム信者もまた大真面目であると私は見る。だから恐ろしいのである。
 彼らの行動は、大真面目で徹底した「戦争の論理」で貫かれているのだ。
 平和な社会では無差別テロは重大犯罪であるが、戦争なら市民への無差別爆撃は当然である。サリンをばら撒いたオウム幹部らに、罪の意識は実に薄い。
 あちらが戦争の論理で来ているのに、戦争を仕掛けられている側が平和ボケし、市民社会の論理で対抗しようとしている。・・・
 ・・・いま、求められるのはオウムへの批判である。極右的軍事路線への徹底した批判である。
 苛烈な批判は、信者の主体的成長と開眼を助け、真の社会復帰の道を開く。」(275、276ページ)
 
 実際、本書は発行当時どのような評価を受けたのだろう。著者はすでに長野県に引っ込み、半ば引退してしまっているようだが・・・。(引退させられたのか?)明白なのは、こんな13年前の出来事になど多くの人が関心など持っていないだろうということ・・・。
 だが人々の意識から風化していったことには間違いなく理由があると思う。冒頭にあげたように、「狂信的な新興宗教が暴走して何人かの人を殺した事件」と頭にすり込まれてしまえば、あまたある有象無象の出来事の中で埋没してしまいもするということだ。
 だが、下里正樹「オウムの黒い霧」に書いているとおり、「単なる新興宗教から変身をとげ、麻薬によって資金を調達し、自衛隊員を信者にして毒ガスや生物兵器の製造、使用、解毒の方法を学ぶとともに信者を兵士にしたて、ロシアから戦車、ヘリなどの武器を購入し、戦争をしかけて国家転覆を図った内乱事件」というのが事実だとしたらどうか。そのようなことが1995年にあったとしたら。やはり時代認識を大きく変えざるを得ないのではないか。
 もちろんこの事件を「実態」以上にふくらませることは、一方で警察・自衛隊といった治安機関に勢力拡大の口実を与えることになるから慎重でなければならないとは思う。(実際、オウムは破防法を変形させたような「団体規制法」とかいうものを適用され今に至るわけだが)がそれでも、何が真実か検証することは必要だ。
 
 
 

 

2008年7月7日月曜日

「オウムの黒い霧」と「オウム真理教事件完全解読」より 2

 下里正樹は同書(「オウムの黒い霧」)で次のように書く。

 「1990年、オウム真理教に深刻な変化が現れた。二月の衆議院議員選挙に、オウムは真理党を結成、麻原彰晃を先頭に二十五人が立候補したが、全員落選した。以来、オウムは政治結社「真理党」の顔を持った。10月、熊本県波野村のオウム施設が熊本県警の捜索を受け、幹部の石井久子、早川紀代秀、青山吉信らが逮捕された。衆院選での敗北と、波野村での「弾圧」は、麻原彰晃の内面に決意を促した。—国家権力と正面から戦い、オウムの帝国を建設するのだ。そのためには、協力な武器と「聖なる軍隊」が必要だ・・・。
 メタモルフォーゼ(変容)という言葉がある。毛虫が繭に入ってさなぎとなり、成長の過程で繭を食い破り、蛾となって飛び立つ。
 毛虫からさなぎへ。さらに蛾への変身は、事物が元の姿とは似ても似つかぬ物へ、飛躍的に質の変化を遂げる例として、引き合いに出される。
 あらゆる人物と組織が、このようなメタモルフォーゼの要素を持っている。
 かつて「警察予備隊」と呼ばれた組織が、やがて「保安隊」となり、自衛隊に変質する要素を持っていたように、宗教団体オウムも、軍事集団化していく要素を「神仙の会」のころからもっていたのである。
 オウムが武装化する直接のきっかけは、序章にも記したように麻薬密造である。オウム・ブランドの麻薬は、当初は教団信者の統制用に、そのあと商取引先の依頼を受けて広域暴力団との暗黒ビジネス用に量産された。それを内偵・摘発しようとする警察権力とオウム幹部の間に、するどい緊張関係が生まれた。また広域暴力団との間にも、緊張関係が発生した。暗黒ビジネスの権益と秘密を守るため、オウムは右翼暴力団に対し、また警察の内偵に対し、自衛手段を講じた。それが、元自衛官、元警察官らによる麻原彰晃周辺の警備体制のそもそもであったと、私はみている。これがのちに「諜報省」「自治省」「防衛庁」とよばれる組織に発展したのである。
 1990年。オウム真理教は、たんなる宗教団体から強力な武器をもった軍事集団に、犯罪シンジケートとつながる秘密結社に変質を始めたのだ。」(85、86ページ)
「ロシア軍関係者とのコネクション作り。日本自衛隊員の獲得—。
 この二つのルートを得て、オウム教団の軍事化は急速に進んだ。・・・
 ・・・空挺部隊・レンジャー部隊は陸上自衛隊の持つ最強部隊である。ここには全国各師団から選抜された最強の兵士しか入隊できない。こうした花形隊員らが、オウムを軍事的に鍛えていたところに、オウム集団の隠された本質がある。」(89、90ページ)
「—1キログラム700万円。
 これがオウムと台湾マフィアの間で成立した「オウム製シャブ」の値段であった。
 オウムはこの時、五億円の現金を手にしたという。
 オウムが武器の入手を図ったのは、自らの王国建設のため国家転覆をなしとげる目的であった。ではなぜ彼らは、シャブの製造と密輸に手を出したのか。
 その理由は、資金調達、広域暴力団との親交、麻原オウム集団内部の麻薬常習者の必要からである。
 国家転覆のためには独自の軍隊建設と武器入手が必要であった。それには多額の資金がいる。麻原オウムはその資金を、当初は信者の「お布施」でまかなおうとした。
 だが、信者から強引にまきあげた土地建物などの不動産は、バブル崩壊後の日本では即刻換金が難しかった。そこでオウムは麻薬製造に手を出した。この裏には日本・台湾・韓国・フィリピン・タイなど海を超えたマフィアの組織との接触があった。」(149ページ)
 「自衛隊のサリンや細菌兵器の技術テキストが、オウム集団に流出していたことは、もはや公然の事実である。単に内部文献だけが流出していたのだろうか。
 私は「人」が必ず介在していたと見ている。どのような技術も、文献によってではなく、「人」を通して伝えられるものである。オウム化学班が、毒ガスのさまざまな技術を身につけるにあたって、特定の幹部自衛官から学んだ可能性は高い。」(271ページ)
「はたして深淵な教義変化が、武装化の直接動機になったのか。いや違う。オウムの路線変化には、もっと現実的な基礎があるはずである。
 巨額の資金、国際マフィアとのコネ、外国軍装備品の獲得、自衛官メンバーの加入といった「物質的基礎」が初めに生じ、それに応じて教義の変化が生まれた。けっしてその逆ではない。教義の変化は、現実の進行に押されるようにして進んだのではないか。
 意識(教義)が存在を規定したのではなく、存在が意識を規定したのである。」(273ページ)

2008年7月1日火曜日

「オウムの黒い霧」と「オウム真理教事件完全解読」より 1

 オウム真理教事件は今も解きがたい巨大な謎として心のどこかに残っている。ウィキペディアで調べても事件の経過などの叙述はあるが、「あれは何だったのか」というトータルな論究は行われていない。
 江川紹子や有田芳生の著作は読んでいないが、テレビでのコメントなどから想像がついてしまう。つまりカルト教団に子を奪われた家族や脱会するかしないか苦しむ信者の話が中心なのだろう。しかしそれは従来から繰り返されてきたできごとだ。
 オウム真理教事件には未解明の問題が少なくとも2つある。一つは村井秀夫刺殺事件、もう一つは国松警察庁長官銃撃事件だ。前者は犯人が逮捕され、判決がくだされ犯人とされた人間は刑に服してはいる。しかし、なぜあの人物が村井を殺さなければならなかったのかという理由は十分には説明されていない。不可解さがぬぐえないという点で解決したとはとても言えない。後者は言うまでもなく容疑者を絞ることさえできない未解決事件だ。
 これらが分からなければ事件の全貌は見えてこないと思うが、そもそも「サリンや炭疽菌、ボツリヌスを撒いたり、外国(ロシアとされる)から兵器を購入して彼らは何をしようとしていたのか」ということさえ社会に共通認識はないのではないか。「カルトだから」「テロリストだから」では何も説明したことにはならないのである。
 ジャーナリスト下里正樹は「オウムの黒い霧 オウム裁判を読み解く11のカギ」(双葉社)でオウムを、宗教という側面からみればカルト集団だが、「民族運動や軍事の面から見ると、明白は極右軍事組織である」としている。下里氏は元・日本共産党「赤旗」記者で森村誠一「悪魔の飽食」の執筆協力者でもある。そうしたジャーナリストであれば「いかにも」という主張ではあるが、その中からいくつか抜粋してみよう。

2008年6月30日月曜日

「不可能性の時代」(大澤真幸著)より

 大澤は無神論に関して興味深い指摘をしている。
 
 大澤は、スラヴォイ・シジェクがマルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」におけるある分析に言及していることについて紹介する。
 当時の「秩序党」はブルボン派とオルレアン派の連携によって形成されていたが、彼らは互いの共通性である「王党派であること」によって連合しているわけではない。それでは、自分たちが戴く王が違う(ブルボンとオルレアン)のだから連帯のしようがない。ではどうやって連合するか—すなわち「王党派一般」になるためには「王党派そのものの否定である共和派になる」ほかない。これと同じことは宗教についても言えるのはないか、と。
 つまり異なる宗教同士が連帯するには、それぞれの宗教の伝統に共通性を求めても得るものはない。それは、二つの王党派の共通成分によって王党派が連帯できなかったのと同じだ。とすれば、
「諸宗派の連帯と融合のための唯一の解決法は、宗教一般の否定、すなわち無神論に依拠することである」(253ページ)
とする。
 これに関連してさらに、マックス・ウェーバーの、キリスト教の徹底化が近代への起爆剤になったとの思想から、
「無神論は、神への信仰の単純な否定ではなく、むしろ、信仰の内側から、それを食い破るようにして出てくるということ、これである」(255ページ)
と記している。

 未来を何とか希望あるものとしてつないでいくという意味では、こういう連帯の方法こそが、対立から殺し合いに簡単に進展してしまう現状を脱するための適切な解決方法であるように私も思う。

2008年6月16日月曜日

ネオコンとナチズム—「アメリカは正気を取り戻せるか」

「アメリカは正気を取り戻せるか」(ロバート・B・ライシュ、東洋経済新報社)を読んで。
 まずこれまで気にも留めていなかったこと—
「1980年代当時株式市場に投資していたアメリカ国民は比較的少数だったが、1990年代には新たに2700万人もの投資家が登場し、10年間で50%以上もの増加となった。2001年にはアメリカ全世帯の半数ほどが自分たちの蓄えを・・・」 (106ページ  )
→アメリカ人はもともと—株式市場が整備されて以来—株式投資により利殖を図ってきたのかと思っていたがそうではないらしい。なぜそんな風に思いこんでいたのだろう。

 さて、以下、「ラドコン(Radcon)」というのは「ラディカル・コンサバティブ(radical conservatives)」の略称で、よく言われるネオコンとほぼ同じ人々のことを指している。
「ラドコンにとって規律を行き渡らせる究極の道具は市場である」(150ページ)
「当時、フリードマンの提案をまともに受け取った人はほとんどいなかったが、ラドコンが支配するようになった今、その考えが主流となった」(152ページ)
「ラドコン社会学者のチャールズ・マレーは次のように言う。『今日のアメリカで、あなたが本当に頭がよければ、おそらく本当によい学校に入ることになり、収入のよい仕事に就くことになり、給料も上がり続けるだろう』」( 157ページ )
→では、右翼であるラドコン(ネオコン)と市場原理主義者の共通の「根」は何か。  
「当時(南北戦争後の好景気時代『金メッキ時代』の支配的な経済理論は自由放任であり、その哲学的ルーツは社会ダーウィニズムとして知られるようになった。  今生きているアメリカ人でハーバード・スペンサーの著述をなにがしかでも読んだことのある人はほとんどいないだろうが、彼の著作は19世紀の最後の30年間、アメリカに強烈な影響を与えた。・・・ (ハーバード)スペンサーと彼の信奉者にとっては、市場は人格を発展させる場であった。勤労は人々に生き残るために決定的に重要な道徳的規 律をもたらした。生きることは、最も強い道徳的素質を持っている者だけが生存できる競争的闘争であった。・・・「適者生存」という言葉をつくったのは チャールズ・ダーウィンではなくスペンサーだった。・・・スペンサーの熱心な信奉者だったイェール大学の政治・社会学教授ウィリアム・グラハム・サムナー はこれを簡潔に説明した。『金持ちは生き残り繁栄するに値するが、貧者はそれに値しないだけの話だ。』」(159〜160ページ)
→強い者が勝つ、あるいは勝った者が強いのであり祝福されるべきである、と考えるところが、そのまま市場原理主義の考え方に当てはまるということなのだろう。
  一方、ラドコンが積極的に他国・他民族を侵略してよしとするのもまた、勝てば良い、負けた者は劣っているのだから虐殺されても文句は言えないとの考えが根にあるということになる。「強い者が勝つ」あるいはさらに進んで「どんな手を使っても勝てばいい、勝った者が強い者で あり、祝福されるべきである」という弱肉強食の論理は、市場原理主義の典型的なたとえだが、実はこれは侵略戦争の論理でもあるのではないか。
 市場原理主義とラドコンの共通性を論じるのに、ハーバート・スペンサーのことが取り上げられたが、彼の文章はマフムード・マムダーニ著「アメリカン・ジハード」でも 「付随的な損害を斟酌せず、完璧な幸福という大計画を実行に移しつつある勢力は、邪魔になる部族の人類は絶滅に追い込む」(注の1ページ)と紹介され、この時代の思想傾向がどのようなものであったかが次のように記されている。
「『帝国主義が劣等人種を地上から排除することによって文明に貢献した』」とする考え方は、自然科学、哲学から人類学や政治学に至る、十九世紀のヨーロッパ思 潮の中に広く表明されている。イギリス首相、ソールズベリ卿が一八九八年五月四日、アルバート・ホールで行った有名な演説で、「大雑把に言って、世界の民 族は生き延びていく民族と滅びていく民族の二つに分けられる」と述べたとき、ヒトラーはわずか九歳、ヨーロッパの空気は『帝国主義こそ、自然の掟によれ ば、劣等人種の必然的破滅に通じている生物学的に必然のプロセスなのだ』という確信が瀰漫していた」
→マムダーニは、こうした時代思潮を背景にニュージーランドのマオリ族やドイツ領南西アフリカのヘレロ族などが絶滅させられていったとし、ヘレロ族についてはドイツの遺伝学者オイゲン・フィッシャーがその強制収容所で人種混淆の実験を行い、「ヘレロ女性とドイツ男性の混血児は心身ともにドイツ人の父親に劣っていた」などといった結論を引き出して「人間の遺伝原理と人種的予防措置」を著したとする。さらに、それをヒトラーが読み、フィッシャーをベルリン大学の学長に任命し、その教え子の1人が、アウシュビッツで人体実験を行ったヨーゼフ・メンゲレだったという関連性を指摘して、19世紀後半の「適者生存」—社会ダーウィニズムが20世紀前半のナチズムを人脈的にも思想的にも支えたことを明らかにしている。
 もちろん「ラドコン・イコール・ナチズム」と短絡的に考えてはならないが、「強者の論理」であったり「人種差別的」であったりする点には、両者に共通性を感じないわけにはいかない。世界の「衆人環視」の中、あの時代もこの時代も「大虐殺」が公然と行われたことも、両者の同質性を疑わさせるに十分ではないだろうか。

2008年6月9日月曜日

市場原理主義は虐殺肯定の論理

 規制緩和、構造改革と進められた日本の施策は「不況を脱するための処方箋」「事業者ではなく消費者の保護」といった肯定しうる動きもある一方で、郵政民営化など米国が「年次改革要望書」などによって求めてきたことを忠実に実現しようとしていると言うことができ、断定的に評価するのは難しいが、そうした要望をしている米国が政治的にはネオコンで、外に対して侵略的であり、経済的には市場原理主義—というか弱肉強食肯定—であることは忘れてはならない。
 日本で進行する規制緩和や構造改革は一局面だけ見るとまともに見えても、実は米国が求めているのは規制を取っ払った市場原理主義の弱肉強食社会ではないか、という疑いの眼はつねに向け続ける必要がある。
 弱肉強食の社会ダーウィニズムを基軸に持つという意味で、市場原理主義と戦争をしかける論理、侵略する論理は相同性が強い。すなわち「強い者が勝つ、弱い者は滅びる、強い者が繁栄するのは当然で弱い者は弱いという点において存在価値はない」という考え方は戦争、あるいは市場での経済的な競争のどちらにも当てはめることができるということだ。
 別言すればこうも言えるだろう。市場原理主義は実は侵略戦争を肯定する論理であると。相手が弱く、劣った存在であるのなら社会の害毒でしかないので、市場原理主義は最後には「虐殺肯定の論理」にさえなり得よう。弱い者が死を余儀なくされるのは当然のことだということで・・・

「ワーキングプア 日本を蝕む病」NHK取材班・ポプラ社

各章扉のグラフより
・2005年国税庁・全給与所得者の5人に1人(21.8%)が年収200万円以下
・2006年15歳〜34歳の非正規雇用者の割合27.2%
・2005年国税庁 65.5%の女性労働者が年収300万円以下、81.6%が年収400万円以下
・2004年 社保庁 年金をもらえない高齢者44万4000人
・厚生労働省 児童養護施設在所者数 1995年25,741人、2000年28,913人、2005年30,830人へ
 
  131ページ〜
 そこ(名古屋駅)から電車でわずか二十分、岐阜駅に降り立つと、まったく違った光景が眼前に広がる。目抜き通りにあったデパートが閉店、建物は解体され、無惨な姿をさらしている。・・・
 戦後、岐阜市の経済を支えてきたのが、繊維産業だ。・・・しかし、海外の製品との熾烈な価格競争が繊維の街を一変させてしまった。岐阜で主に作っていたのは、元々価格を低めに設定してある大衆向けの製品だ。そこに、圧倒的に低い人件費を背景にした中国の安い製品が大量に入ってきた。岐阜の持っていた市場はたちまち新居腐れ、商品は売れ残り、問屋の倒産が相次いだ。・・・倒産のドミノ倒しが始まった。
 —そして
 朝、岐阜市内では自転車に乗って職場へ向かう中国人の姿が、あちこちで見られる。・・・同じ職場(繊維産業)で働く日本人は1万人弱。つまり、労働力の実に四割が外国人の研修生と実習生という状況なのだ。

—商売で中国製品にやられ、労働市場で中国人を肇とした外国人に浸食されるそうした状況は、庶民レベルでの反中国感情の素になっているに違いない。ここには輸入中国製品の流入によって追い立てられるように退場していく中小企業の姿がはっきりと描かれている。のみならず繊維産業が盛んで今まさにそれが衰退に瀕している岐阜県などでは中国に太刀打ちできなくなったがゆえに、人件費を抑えるために、中国人研修生を雇い、労働市場から日本人が駆逐されていっている(正確には、日本人を雇う給与を出せないので、結果、苦肉の策として中国人を雇い入れるという順番であり、日本人労働者がモロに中国人に駆逐されるわけではないのだが)。

「サブプライム後に何が起きているか」(春山昇華、宝島新書)

「サブプライム後に何が起きているか」(春山昇華、宝島新書)
 109ページ
「近年の中東諸国の国富ファンドの肥大化は、欧米の金融機関に代わって、中国や中東諸国が資金の再配分の権力を持ちつつあることを意味する。資本再配分権力は金融機関に対する生殺与奪の最高権力だ。自国の金融機関が海外資金で救済され牛耳られるという事態の拡大は、アメリカがこれまで保持してきた流動性配分権力を失うこと、つまり帝国として覇権の一部を失うことを意味する。」

—「流動性配分権力」。たしかにこれは権力であるが、金融システムそのものは欧米が作り出したもの。つまり土俵は欧米に握られている。
 またアメリカの覇権の核心は、けっきょくのところ基軸通貨ドルを守る軍事力ではないだろうか。軍事力においてアメリカを物理的に上回ることは長期間にわたって不可能だろう。であるならば、この軍事力は武装解除されなければならない。そうならなければ覇権は移行しない。
 何よりも、中東諸国、中国、米国、ヨーロッパと敵対的に描くことに意味はあるのだろうか。中東と中国が欧米を押さえつけて君臨する図?そうではなく、サブプライムで欧米の金持ちたちのシステムが傷んだので、中東の金持ちがお仲間として助太刀に来た、それだけではないのか。
 こういう視点からみると、「次はアジアの時代」とは「中国の時代」というご託宣も、「だからどうした。金持ち対貧乏人の構図は変わらないんだろう」と言いたくなる。

2008年5月12日月曜日

「サブプライム問題とは何か」(春山昇華、宝島新書)

「サブプライム問題とは何か」(春山昇華、宝島新書)
126ページ
 現在のローン債権の所有者とは、世界中に散らばった投資家なのである。彼らは、個別のローンをまるごと所有しているのではない。株式会社の株主同様、ローン債権の持分権を所有しているだけだ。しかも投資家は1人や2人ではない。数十人、数百人で、かつ広く海外に散らばっている。投資家の代表として、ファンドの運用会社と交渉するにしても、運用会社の拠点であるニューヨーク、ロンドン、パリに行くための運賃を誰が払うのだろうか。結局、しゃく入社が現在のローン債権の所有者と直接交渉することは、事実上不可能なのだ。

—漫画のような悲喜劇的な光景。実際に世界に散らばる債券保有者を訪ね歩くスラップスティックコメディがすぐ考えつけそう。けれど、サブプライムの被害者が下層に近い庶民であることを思うとき(130ページ「サブプライム利用者の多くは少数民族である」)それは見るに堪えない胸痛む光景となる。





 

2008年4月21日月曜日

イラク—麻痺する倫理と思考

 
 似たようなニュースに食傷する、ということがある。イラクにおける「爆弾テロ」の報道などはその典型だろう。「バグダッド北部でテロが起き、10人が死んだ」と報じられても、以前ほど気にならなくなっている。それぞれの死は取り返しがつかないが、長期にわたり毎日のように報じられると、人間は新鮮な関心を持ち続けられなくなる。同様に、その原因をつくった当事者である米国に対する批判も、何か力がこもらなくなっていく。
 おもえばアメリカは不定期的にではあるが、常に何らかの戦争をしてきた。「共産主義から自由世界を守るため」であり「独裁あるいは専制国家に民主主義を広めるため」だとされた。しかし今では皆が「どんな大義や正義があるのであっても、こんなに民間人が巻き添えで殺されるのはおかしい」と思わずにはいられない状況に陥っている。
 ふつう「正義」という質量のない概念と、死者数という「量」と並べて比べはしない。してはならないことでもある。しかし人は無意識にそれをしている。「いくらなんでも酷すぎるのではないか」と。ウィキペディアを見るとイラク戦争で100万人のイラク人が亡くなってる。人口構成比から考えると、膨大な数の子どもたちが死んだことになる。
 これら死んでしまったイラク人を私たちはどう受け止めるべきなのか。当初、開戦の理由とされた大量破壊兵器もアルカイダとの同盟関係も見つけだすことができなかった。ブッシュ大統領は、それを疑うに足る理由が十分にあった、といった弁解をしていたが、これほどの大量殺戮を前にしてはそんな弁も説得力を著しく欠くことは明らかだ。けれども事が単純でないのは、ブッシュの米国を批判すれば済んでしまうほどわれわれはシンプルな立場にはいないという事情がある
 私やあなたの立場—というのは、言うまでもないことだがアメリカと日米安保条約によって同盟関係にある日本の一国民という立場である。さて、この立場を踏まえたうえでこの問題について考えようとすると、実はブッシュ批判どころではなく、最初から結論が狭い範囲に限定されてしまっていることに気づく。それは米国の同盟者=共犯者という立場である。
 この立場を越えることは簡単なようでいてそう簡単にはいかない。米国の同盟関係であることを拒否する言説を紡ぎ続けていたとしても、その圏外に脱出するのは難しい。否応なしにわれわれは「植民地的」に支配されてしまっているからである。
 このようにある限定を設けるのは不可欠な誠意だと私は考えるが、この「限定」はある諦念を生む。「何をやっても越えられないのではないか」と。それに対しては「その『限定』を意識したうえで、思考と行動を試み、越えていくしかない」と答えるしかない。植民地的に支配されているというのは、すでに日常生活のレベルで支配されているということだ。その意味で闘うきっかけはそこここに転がっているはずだ。

民主党に政権は担えない

 福田内閣はずいぶん追い詰められているようだ。福田自民がダメだから「麻生」へ行くのと小沢民主へ行くのとではどちらが可能性は高いか。分からないが、これこそ究極の選択のように思える。以下は2008年4月に書いたもの。福田がこうまで悪くなると、消去法で民主党政権もあり得る流れだが、この党に対する失望は何ら変わることがないので気にせずアップする。

(ここから)
 2007年7月の参院選で自民党が大敗、公明党の議員と合わせても過半数に届かず、9月にはついに安倍内閣退陣に至った時点では、政権交代が目前に迫っているようにさえ感じられたのだが、結局そうなっていない。安倍自民党の敗北は結局のところ、「構造改革政策」に対する国民のカウンターパンチを喰ったがゆえにすぎない、自分でコケたに過ぎなかったということではないか。つまりもともと民主党は独力で政権を取るような力を持たない組織でしかないということではないだろうか。
 失速のはじまりであり、かつ、あとになって決定的な影響を及ぼしたと思われるのが「大連立」の崩壊だとは思うが、解散・総選挙に持ち込もうという気持ちが彼らにはない。そういう思いをもっている人がいても、表舞台に立つことができない。
 なぜそういうものがないのかというと、あの党が右から左までの寄せ集めであり、党としてのまとまりを欠き、まとまりをもてないことにより、「党としての意志」を持てないからだ。    
 他方、自・公連立政権も今の福田で行き詰まり、「次、麻生」では打開はできない。小泉の復権もおそらくないだろう。だからこそ、「大連立」が画策されたのであり、次にあり得るのは自民と民主の枠が取り払われた何か新たなものであるはずだ(他方、民主の一部勢力と社民・共産の連合政権は力量不足から考えにくい。)
 それにしても、この行き詰まりの本当の原因は何か。小泉「構造改革後」への反発が大きすぎて、実際、地方の疲弊もきわまり、身動きがとれなくなっているということだろうか。北朝鮮に戦争をしかける機会を逸し、外に注意もそらすことができない。中国と戦おうにも、もう勝てないし、何より米中が接近している。沖縄の基地問題はまったく降着したままだ。いま基地問題と防衛省問題が噴いているのは、近隣諸国との関係でいえば、軍不要となりつつあるということではないか。
 沖縄問題が行き詰まったから、政権が行き詰まっているのか、その逆なのか、は興味深い問題ではある。

2008年1月29日火曜日

イスラム原理主義とは何か─あるいは学問的敗北

 マフムード・マムダーニ「アメリカン・ジハード」(書評はのちほど)を読んで以来、「イスラム原理主義とは何か」ということがずっと心にひっかかっている。
 20年ほど前、トルコ・シリア・イラン・パキスタン・インドのムスリム居住地区・フィリピンのミンダナオ島などでイスラム教徒と接する機会があったが、この言葉が喚起する「異常さ」「狂信性」「残忍さ」といったイメージとあの時の体験とがどうしてもしっくりとは重ならないからだ。彼らと一緒にいて身の危険を感じたことは一度もなかった。私が触れたのが庶民だったから?だが、いま報道されているムスリムのイメージは、そうしたふつうの庶民でさえ、「危険」「過激派」というイメージに塗り込められているではないか。当時、私が受けた印象と現下のムスリムのイメージとはかけ離れすぎている。
 20年という歳月が大きな変化をもたらし、印象を一変させたということか。この20年のうちに、穏和、穏健としか思えなかった人々までもが「原理主義」を信奉するようになったということなのだろうか。
 おそらくそうではないだろう。イラクのように治安が悪化した地域であれば、たしかに誘拐されたり殺されたりすることがあるかもしれないが、それでも、そこでは人々が当たり前に暮らし、恋愛し、子どもが育つという生活が間違いなく存在している。そうした空間では私たちと同じような生活感が抱かれ、適切な倫理や道徳律が存在しているはずだ。では、原理主義がそうした真っ当な生活感や倫理観と対立して同居している、あるいはそれらを圧しながら共存しているということなのか。
 だが同じ空間に共存するにしては、両者の断絶はあまり大きい。「生活の貧困さを恨んで銃撃した」とか「疎外されて自爆テロを選んだ」とかもっともらしい理屈をくっつけるのはこの場合むなしい作業だろう。どうしたってそのまま一足飛びに、使命のために人殺しも辞さない「原理主義」には結びつかないからだ。逆に言えば、(前者と後者は)そうそう短絡的に結びつけてはならない事柄であるはずであるにもかかわらず、「原理主義ゆえ」「彼は原理主義者だから」という言葉は有無を言わせず結びつけてしまうということだ。
 まずは「イスラム原理主義」という用語によって喚起されるイメージの方に間違いがないか、検証するべきだろう。最初に少なからぬ人々がすでに指摘している事柄をもう一度記しておこう。最近読んだイスラム教関連の書物の中でもっとも誠実さを感じた書物から引用する。

「・・・(イスラム原理主義という用語は)学術的な「分析概念」としては、不適当であると考えている。それはむしろ、イスラームに対するある種の偏見すら助長するものであり、E・サイードが批判する意味でのオリエンタリズム的言説であると思っている。」(大塚和夫著「イスラーム主義とは何か」〈岩波書店〉6ページ)

「・・・むしろアメリカの用語法では、ファンダメンタリズムという言葉は自称ではなく、対立者(モダニスト神学者や世俗主義者)からつけられた他称であり、時として反近代的で時代錯誤的な神学を含意するという意味で蔑称であるという事実が重要である。」(同8ページ)
 
 大塚氏はこのように記すとともに、イスラムという一神教批判の背後には多神教的な自国を良しとするわれわれ日本人の自民族中心主義(エスノセントリズム)がありはしないかと指摘している。
 さらに、「イスラム原理主義」という名称の代わりに「イスラーム主義」および「イスラーム復興」という二つの用語を使うことを提唱している。すなわち、前者を「社会のイスラーム的変革を求める政治イデオロギーや運動」と定義し、後者を、女性がスカーフを自主的に着用するなどみずからのアイデンティティの根拠としてイスラームを再び重視する文化的・社会的現象─「イスラーム復興」と名付けた。
 同書が良書たるゆえんは、留学や学術調査を通じての豊富なフィールドワーク体験をもとに、ムスリムの立場に立って「イスラーム主義」や「イスラーム復興」がどのような経過をたどって起きてきたのかということを、憎しみや恐れや蔑みの感情を煽ることなく伝えてくれているからだ。

 同書と併せて、宮田律「イスラム超過激派」(講談社)、藤原和彦「イスラム過激原理主義」(中央公論社)、小川忠「テロと救済の原理主義」(新潮社)を読んだが、これらから学ぶべき内容がないとは思わないとはいえ、いずれも「過激派」「原理主義」という言葉を何も疑問なく使っていることや、そのような用語法が示している通り、結局のところ、こちら(日本、欧米諸国)の側にいて相手の立場に一切立つことなく、恐怖や憎悪を煽っているという点では選ぶところがないように見えた。
 学者や専門家が何ら注釈なしに(あるいは注釈をしていたとしても)「イスラム原理主義」という言葉を使い続けるのは学問的敗北ではないだろうか。特に宮田律氏は著書「現代イスラムの潮流」(集英社)ではイスラムに対しても公平を期す姿勢を見せていたのに、「イスラム超過激派」では「原理主義」を通り越し「超過激派」まで飛び出していってしまった。一体どういうつもりだろう。二つの書物の発刊の間隔はそれほどでもないのに、なぜ短時間で変貌してしまうのか。「過激」な方が売れるからか。

2008年1月22日火曜日

映画「PEACE BED アメリカVS ジョン・レノン」

 私はわりと洋楽は聴くほうだと思うが、ビートルズやそのメンバーの曲はこれまであまり身を入れて聴いてこなかった。ジョンレノンについても、「インドかぶれした、わりとリベラルな人」くらいにしか思っていなかった。身近にいた全共闘世代の元活動家が「(ジョンレノンは)うさんくさい」と言っていたのもなるほどと納得していたし、「真心ブラザーズ」の曲「拝啓ジョンレノン」の歌詞にジョンレノンを「夢想家」「バカな平和主義者」とくさす歌詞が出てくるのを半ば真に受けていた。
 しかしこの映画に描かれた通りならば─ドキュメンタリーの要諦がどこに光を当てるか、であることを考えると、もともと「描かれた通り」などという表現はナンセンスではあるけれど─その印象は全面的に変えなければならない。少なくとも私の場合、彼の曲に対する評価は大きく変わった。
 多くの人が知っている「Power To The People」や「Give Peace A Chance」も、全訳が紹介され、そこにその時代のジョンレノンの反戦活動の映像がかぶさると、いかにそれらが戦闘的な─といっては誤解を生むとすれば、「時代の先端を行く」─歌であったかが分かってくる。「Happy Xmas」も、あの子どものバックコーラスが延々と「War is over,if you want it」と歌っていたなんて知らなかった!こういう歌があるからこそ、「Imagine」の「夢想家だと言われるかもしれない。だがおれは一人じゃない」という歌詞がより説得力を持つというものだ。
 そう、これはその時代のいろいろなことが分かる映画だ。たとえば、ある一定以上の年齢の人々には自明のことなのかもしれないが、なぜジョンレノンはじめあの頃の活動家は髪を伸ばしていたのか。正直にいうと、ヒッピー文化というものはそういうもので、それに影響を受けたからだと私は思っていた。
 が、ジョンが「髪を伸ばそう」と語りかけているのを聞いて、徴兵制反対の意思表示であることに気づいた。つまり、おそらく話は逆で、そこからヒッピー文化的なものが生じていったのだろう。徴兵制のない日本では、かなり矮小化されざるを得ず、髪を伸ばすことは企業に就職しない程度のことを意思表示するにすぎなかったわけだが(ユーミンの「いちご白書をもう一度」の歌詞にもありますね。「就職が決まって髪を切ってきたとき〜」って)。
 オノ・ヨーコの印象も変わる。彼女がいたから、ジョンレノンはここまでやれたのではないかと思えてくる。彼女については良くない風評が少なくないようだが、保守的な人たちからみたら、そりゃイヤだろうこんな人は。だが、だからこそそのような風評を流され続けたという面もあるのではないか。
 こんなことを書いていると、なんでもかんでも疑りたくなってくる。なぜこの映画は何も評判になっていないのか。あまりにも告知が少なすぎるのではないか。映画の上映時間だって「いったい何?」っていう時間だった。何せ、私が住む川崎の「TOHO シネマズ」は毎朝10時1回きりの上映だった。なぜ夜10時からのレイトショーにしない?見るな、っていう意味か?