2007年12月24日月曜日

気になる言葉─「イスラム原理主義」

「イスラム原理主義者」という言葉は今、テロリストとほとんど同義で使われている。それが言い過ぎなら、この言葉は間違いなく多くの人々に「テロリスト」を連想させる。気がつくと、ムスリムの抵抗者、反体制者は「イスラム原理主義者」というカテゴリーに押し込められ、「テロリスト」のレッテルを貼られる世の中になっていた。少なくとも1990年までであれば、「パレスチナゲリラ」に象徴されるような「ゲリラ」だったものが、いつのまにか、大義も人道もお構いなし、無差別に殺すことを意味する「テロリスト」という言葉に置き換えられてしまっている。
 
 なぜ、そのような変化が起きたのか。「原理主義」という言葉はそもそも、1920年代にアメリカで生まれた「キリスト教原理主義」という言葉に端を発する(マフムード・マムダーニ「アメリカン・ジハード」岩波書店)。つまり転用され、使われるようになった呼び名なのである。
 さらに「イスラム原理主義者」の起源を調べると、米・ソ冷戦との関係に目を向けざるを得なくなる。しかしそうしたことがマスメディアで省みられることはほとんどない。だからどうしても、イスラムの人々が、残忍で危険きわまりない「イスラム原理主義者」という「怪物」を独力で生み出したかのような錯覚に陥ってしまうのだと思う。
 前掲書やジョン・K・クーリー「非聖戦」(筑摩書房)などに記されているが、米国は、アフガニスタンに侵攻したソ連を苦しめるために、ムジャヘディン(聖戦士)といわれる反政府ゲリラを利用することにした。それが「イスラム原理主義者」誕生に決定的な意味を持った。
 これは第二次世界大戦後、共産主義の浸透を防ぐためにフランスや日本でマフィアや右翼、やくざを利用したのと基本的には同じ構図だったといえる。有効なものであれば、道徳や倫理は二の次にして目的の達成のために利用するやり方だといえる。「利用される者」たちは共産主義との闘いにおいて武器や資金を要求した。米国の同盟国であるパキスタンにしても、共産主義への恐怖や憎悪とともに、おそらく領土的野心ももって米国に協力した。パキスタンの「国家の中の国家」と言われるISI(統合情報本部)は訓練を施し、ムジャヘディンを育成するシステムを西部の部族支配地域に作り出した。
 中東の反共的な政府にとっては、「悪の共産主義国家・ソ連」を倒すことに反対する理由はない。それはアンワル=サダトのエジプトであり、いまも王制が続くサウジアラビアだった。それらを糾合して対ソ戦を推進したのがCIA だった。世界各国でムジャヘディンをリクルートする活動も支えた。だからこそ戦後、アラブ・アフガン(アフガニスタン帰りのアラブ人)と言われる人々が大量に生じたのだ。
 米国にとって、これらの人々はソ連に勝つと同時に不要になった。という以上に有害な存在となった。利用価値がなくなったので、資金援助も減らした。こうしてオサマ・ビンラディンといったアラブの金持ちが前面に出て経済的なサポートを行うという形になっていった。オサマも含め彼らは「不要になればポイ捨て」という米国のやり方を心に刻んだに違いない。
 「世界最大・最強の資本主義キリスト教国家・アメリカは実はソ連と大差ないではないか」─こうしたことが自ずから認識されていったに違いない。しかも中東の非民主的統治形態をとる中東の政府は「米国」という切り札を手に反対者を弾圧し、身を守ってきた・・・。帰国した祖国でイスラムにのっとり反体制的な政治姿勢をとろうとすれば、いやおうなく政府の背後にある米国と対立関係にならざるを得ない。
 このように徐々にソ連崩壊からそれほ遠くない時期、少なからぬイスラム反体制派の人々の間で、ある種の意識の転換が起きていったに違いない。つまり「米国もソ連同様に打倒すべき異教徒に集まりである。自分たちに服従を強いる点ではソ連と選ぶところはない。すなわちアメリカもソ連同様に倒さなければならない・・・」と。
 
 米国の戦略についてこのように書くと「『悪の帝国』ソ連を倒すためにはやむを得なかった」「かりにムスリムが利用されたのだとしても、それこそが冷厳な国際政治というもの」と反論する向きがあるに違いない。 しかし、それで議論を終わらせてしまうには残された損害は深く、広範囲にわたり過ぎてはいないだろうか。西はアフリカ大陸から東はフィリピンに至るまで─テロリズムは広大に拡散し、今も猛威をふるい続けているのである。
 
 ここである想像をしてみよう。イスラム諸国の若者が、イスラムの教えに依拠しながら社会の矛盾を認識し、それらを正すために闘うという生き方はさほど珍しいものではないと思う。しかし、そのように日々の生活の中でじっくり学びつつ、現実との矛盾の中で苦しみながら成長し、さらに高い次元の、社会と人生に関するビジョンを得るような、まともな(?)反体制的な生き方は、「ムスリムを抑圧・搾取する白人、欧米人、異教徒は殺してしまえ」との声にかき消されてしまったのではないか。しかも、そう唱える者の中には実際に戦場でソ連兵を殺してきたというリアリティと、殺すための術を習得しているという圧倒的な優位さを手にしている者がたくさんいるのだ。アフガン戦争からの帰還者は、地元のイスラム反体制運動をいたずらに過激化させる「劇薬」の役割を担ったと思われる。おそらく、本来なら「こんちくしょう」と念じながら粘り強く生きたに違いない多くの若者が、ある者は進んで、ある者は惑わされ、ある者は追い詰められてテロリズムに手を染めざるを得なくなっていったのではないだろうか。     
 こうしたことを想像すると、「目的のために手段を選ばなかった」米国の罪深さを思わずにはいられない。

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