12月18日、小説家のヤン・ソギルが中国・ビルマ・バングラ・インドとアジアハイウエーを旅する番組(NHKだと思う)を放映したが、彼はそこでの貧困を「為政者は知ってはいるが、手の付けられない矛盾。たとえようがない」と言った。彼は番組の中でインド・パトナの雑踏において、街の様子をみてこう表現したのだった。
たとえようがない、とはどういうことか。その国の国家体制では庶民の貧困や矛盾を根本的なところから救うことはできない。ならば革命でもするしかないのに、革命などできない。だからこその貧困であり矛盾なのである。ヤンは「亜細亜曼荼羅」と表現した。こう例えた意図の詳細は分からないが、このように表現すると、ある種の脚色が加わるように思える。誤解を生まないためにも、そういう美しい表現はするべきではないのではないかと思う。
「手の付けられない矛盾」があるからこそ「永久革命」というスローガンも生まれる・・・
「永久革命」と検索エンジンに打ち込むと、孫文や毛沢東、トロツキーらの名前が現れる。革命家が「永久革命」という概念にとらわれるのは、「永遠に浮かび上がれないほどの貧困・矛盾」の重みを意識したからではないか。ロマンチックに響くが、本当は重い現実が投影された言葉なのかもしれない。
アジア各地で起きる事件や事象を調べると、この「貧困・矛盾」に突き当たり、それらが多くの場合、過去の植民地支配の傷が原因や遠因となって引き起こされることが少なくないことを思い知らされる。まさに現在に連なるものとして50年前、100年前の歴史はある。
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